夢がデカイニートの日記

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なぜ僕はサラリーマンの道を蹴ったのか

サラリーマン。それは、自分の命を繋ぐための応用であり、必要不可欠な社会構造である。

サラリーマンでいることによって、安定した給料をもらえるし、給料すなわち金で衣食住を手に入れることによって、自分の命を助ける。

サラリーマンの構造は、僕も11年間味わってきたからそのありがたみは嫌でもわかる。

 

平成30年3月31日、僕は今まで2年間務めてきた会社を退職した。

僕にとって2年間も務めることは、かなりグッドな結果だ。

昔の僕はそんなに耐えられなかったから。

2年間務めた会社だが、仕事内容に不満があったわけではない。

たまに嫌な客も居たけど、いつもではなかった。

他にも嫌な仕事や嫌いな人と一緒に仕事をしなきゃいけないときもあったけど、仕方ないのかなと思って考えないことにしてた。

このままずっと、定年までその会社で務めることになるんだろうと思っていた。

これが人生なんだと・・・。

だけどある日、僕はその構造の中で生きていくことに疑問を持つことになった。

毎日繰り返される同じこと。これは別に良いんだ。

ただ、嫌な奴とも協調性を持って接さなくちゃ行けないこと。

朝から晩までひたすら拘束されること。

これを定年まで続けなくちゃいけないこと。

これが僕には耐えられなかった。

「月に20万円後半の給料で、1日の時間を全て使い切って、嫌な思いをしながら年を取っていくのか・・・」

こう考えたとき、急に恐ろしくなった。

自分の人生のために嫌なことを我慢する・・・

そんなの嫌だ。

僕は弱い人間だ。

力は無いし、女性にはモテないし、オマケに勉強は嫌いで最終学歴は中卒。

そんな僕が、人間関係や仕事の嫌なことに耐えることなんてできないし、やりたくもない。

イケダハヤトさんも言ってたけど、限られた人生、しかも全世界に70億人もいる地球で、なんでわざわざ嫌いな人間と合わせなくちゃいけないんだろう?

そんなのどう考えたっておかしい。

会いきれないほどの人間がいるこの地球で、わざわざ嫌な奴と協調性を持って接するだって・・・?

どう考えても狂ってる。

仕事奴隷を都合よく使うためのシステム「協調性」で得するのはほんの一部の人間だけだ。

協調性を駆使する人間の心が晴れることはない。

我慢は美徳なんて言葉があるけど、それも協調性と同じ。

我慢した人間は損をして、変わりに誰かが特をする。

だから僕は11年にも及ぶサラリーマン生活に終止符を打った。

そのことは後悔してない。

貯金があればある程度は生活できるし、毎朝のピリピリした空気の通勤ラッシュともこれでおさらばだ。

これでようやく自由に生きるための小さな1歩を踏み出したんだ。